コリシ主将家族や優勝後インタビュー、貧困時代を生き抜いた話を詳しく解説!

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ラグビー南アフリカ代表シヤ・コリシ主将(※1ページ目)

ラグビー南アフリカ代表、初の黒人主将として4つの異なる言語を母語とする選手の集まった異色のチームをまとめ上げ、その皆と共に【ウェブ・エリス・カップ】(※ラグビーワールドカップ優勝杯)を高々と掲げたシヤ・コリシ選手。

信頼の厚い主将ならではの光景は見た人全ての心に強く残り感動と温かい気持ちにさせてくれる光景だった。

チームの皆はコリシ主将を真の男にしてみせると心に近い戦った。

南アフリカは本当に実力と心を兼ねた素晴らしいチームだからこそ優勝できたのだとラグビーワールドカップ2019日本大会が終わった後だからこそ気付く事をたくさん発見できた。

かたや準優勝のイングランドはメダル拒否とか・・・その姿勢がやはり優勝を生まなかった原因の1つなのかもしれませんね(´・ω・)

オールブラックスも3位ながらも紳士的な態度だったのに・・・話が逸れました💦

そんなコリシ主将は貧困の家庭の出身。そんなコリシ主将の過去や家族について。

インタビューで語った事を含め解説して行こうと思います。

http://kinsanblog.com/siya-korisi

http://kinsanblog.com/faf-hadaka

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http://kinsanblog.com/faf-kirai

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シヤ・コリシ主将のプロフィール

  • 名前:シヤ・コリシ(Siya Kolisi)
  • 出身地:南アフリカ、ポート・エリザベス
  • 身長:188㎝
  • 体重:105kg
  • 出身校:グレー高等学校
  • ポジション:FL(フランカー)
  • 代表キャップ:40(南アフリカ)
  • 所属チーム:ストーマーズ(Stormers)

 

シヤ・コリシ主将の貧困時代~現在に至るまで

1991年に南アフリカの南部ポートエリザベス郊外の貧困地域【ズウィデ】という場所で生まれ祖母に育てられます。1日1切れのパンと牛乳を飲むことが楽しみの生活。

15歳で母を亡くし南アが2度目の優勝(今回が3度目)を果たした2007年大会当時はまだ16歳。

家にはテレビすらなく、居酒屋でに見たラグビーW杯のその光景は本当に美しかったと語っています。

この当時の優勝の事を『あの優勝が国に何をもたらしたかは覚えています。あんなに皆がスポーツで1つになるのは見たことが無い』・・・と、コリシ主将は現在語ります。

12歳でラグビー名門校に奨学金付きでスカウト、食事は1日6食に変わり、寝る場所も床だったのがベットに変わる。

プロの選手になるためにラグビーだけでなく勉学も英語も必至に学び20歳で念願のスーパーラグビー・ストーマーズに入団!その後は故郷への恩返しのために衣服やお金を送り続けている・・・という映画化してもおかしくないようなサクセスストーリーを体現している人物(映画化するんじゃないかな。。。(;・∀・))

貧困家庭の出身はシヤ・コリシ主将だけでは無い

コリシ主将が貧困の家庭の出は以上のとおりだが実は南アフリカ代表にはコリシ主将だけでなく他にもいるのだ。

南アフリカが初優勝した際の自国開催の1995年大会。その当時の黒人選手は1人だけ、現在は非白人選手は10人以上います。しかし人種間の経済格差は未だに酷く決勝で感動のトライを決めた【マカゾレ・マピンピ】選手も過酷な貧困地域の出身で幼い頃は毎日10キロの道のりを歩いて学校に通っていたと言う。

このように南アフリカ・スプリングボクスと言うチームには様々な人種の背景がありそれが1つとなった結果が優勝へとつながったと言えます。

優勝後にコリシ主将はインタビューで以下の言葉を残しています。

『みんな違うバックグラウンドから集まっているが、団結すれば、素晴らしい目標を達成できると証明できた。』

まさに【虹の国】を率いた主将ならではの言葉だった。

シヤ・コリシ主将の家族とのワンシーンに世界が感動!W杯優勝後のインタビューも!※2ページ目

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