八千草薫・宝塚歌劇団(※2ページ目)
幼い頃に父親を亡くした八千草さんはプール女学院という学校に在学中に宝塚音楽学校に受験し見事合格し、宝塚歌劇団へと入団します。
入団当初は【分福茶釜】という作品の【狸役】といった、いわば『コミカル系』な役所が多かった八千草さんでしたが、1952年の【源氏物語】の若紫の可憐で無垢な演技が大評判となり、類稀な演技力と美貌で宝塚娘役として1時代を築きます。
宝塚歌劇団に設立された【映画専科】
宝塚歌劇団内に【映画専科】という部署が設立され所属します。
宝塚財団中から出演をこなし芸能界での【お嫁さんにしたい有名人】では常連となり首位にも何度も輝く程の人気を獲得。
【気品があり生活臭を微塵も感じない】
・・・と当時は言われていたそう。
現在で言う所のネット上の声的な所でしょうか(;^ω^)
そんな八千草さんは1957年に宝塚歌劇団を退団します。
http://kinsanblog.com/taniguti-yatigusa
http://kinsanblog.com/yatigusa-isaku
八千草薫・宝塚歌劇団34期の同期
八千草薫さんは宝塚歌劇団の第34期生。
1946年に宝塚音楽学校に入学。
翌1947年に卒業して、宝塚歌劇団に入団し、花組公演『マノン・レスコオ』『春のおどり -世界の花- 』で初舞台を踏んだ50人の事を指します。
この期に入団した有名な女優さんは八千草薫さんの他
百ちとせ⇒現在は【阿井美千子】
- 生年月日: 1930年1月17日
淀かほる
- 生年月日: 1930年1月2日
- 没:1993年9月19日
・・・がいます!
淀さんは残念ながら亡くなられていますね・・・
八千草薫は【恥ずかしがり屋】だった。
幼い頃は非常に恥ずかしがり屋で自宅にお客さんが来ると隠れてしまう程のシャイな女の子だった八千草さん。
そんな恥ずかしがり屋の女の子が、華やかな宝塚の舞台で娘役のトップに君臨するなんて当時の八千草さんの周囲の人たちは誰も想像していなかったと言います。
その時、八千草さんはインタビューでこう語っていました。
『知らない間にここまで来てしまいましたけれども、私は過去と将来とかあまり考えないんですね。何より「今」を1番にしていますから・・・それに、あれしたいとかこれしたいなどもあまり考えません。自然体でいつも楽しく、何事も楽しくやりたいと思っていますから』
恥ずかしがり屋だった自分、戦争を経験して煌びやかな世界に憧れた自分。
そんな自分が一歩踏み出した宝塚の世界。
ある日気付いた時には逃げ出す自分にフタが閉じられ、そしてまたある日気付いた時には宝塚歌劇団を担うトップスターに・・・
【恥ずかしがり屋だった八千草薫】
・・・があったからこそ
【逃げ出さない八千草薫】
が完成されたのかもしれませんね‼
八千草薫の理想の女性像
八千草薫さんは自身の理想の女性像を・・・
【美智子皇后陛下】
・・・と語っていた八千草薫さん。
むしろそう語る八千草さんを当時の女性たちは理想像としていたくらいです。
それは無意識にか美智子様を理想と意識する八千草薫さん自身がその上品さ気品さを備えて行ったからなのかもしれませんね!!
いつまでも【女性の御手本】として皆の心に残り続ける八千草薫さんの姿は、八千草薫さんを知る全ての女性の・・・
【女性の理想像】として・・・
これからも日本の国民の皆の心の中で生き続けることでしょう。
コメント