中西麻耶ソフトテニスとカレンダー、コーチ、100mとの関係性とは?

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中西麻耶のソフトテニス

中西麻耶さんは出身地である大分県由布市庄内町にて中学生時代からソフトテニスの選手として活躍していました、そして地元のソフトテニスの名門である明豊高校に入学する為にソフトテニスの監督に交渉し、明豊高校の選手と勝負をさせて貰うように懇願。

そして中学生ながらに高校生に勝利!これにより明豊高校へ入学します!

そしてソフトテニスでインターハイ出場!国体出場を経験したほどの実力者でした!

高校卒業後も皆さんが知るように事故に遭って右足を失うまで2008年地元開催の【チャレンジ!おおいた国体】への出場を目指していました。

実質右足を失った後もなんとか出場を目指していましたが、この時点では義足で健常者に混じり同じレベルで戦う事は不可能と知り断念、リハビリとトレーニングの最中に出会ったパラ陸上競技へと道を移すのです。

中西麻耶の100m走と200m走

パラ陸上選手の中西麻耶さん。パラリンピックにも3度出場、2019年11月11日のドバイパラ世界陸上大会にて優勝し東京パラリンピック出場を内定。

走り幅跳びのイメージしかない方も多いかもしれませんが、2008年北京パラリンピック、では100mと200mの大会出場。

100m6位、200m4位。

この経歴があるからこそ今の中西さんがあると言います。

ここでメダル獲得に至らなかったことが単身でアメリカへトレーニング留学へと向かわせることとなります。

中西麻耶の単身アメリカ留学・コーチとの出会い

中西さんは2008年の北京パラから2012年ロンドンパラまでの期間が一気に世界のトップアスリートの身体を作り上げる事となった最大の4年間だったと語ります。

アメリカのアル・ジョイナーコーチとの出会いです。

アル・ジョイナーコーチは2008年~2012年ロンドンパラリンピックまで中西さんのコーチを務めます。

中西麻耶が自身のカレンダーを出す!?

2012年夏のロンドン大会を前に競技活動の為の資金、義足購入資金不足に陥ってしまいます。

そんな中なんと思いついた発想は自身のカレンダーを製作します!

そんなカレンダー1ページ目は

【Who Wants to dress me?】

(誰が私を着飾ってくれるの?)

。。。という心の声が記された冒頭。

極限まで絞られた肉体、女子アスリートとして1ケタの驚異的な体脂肪率。

美しい腹筋のシックスパック。腕周りは2008年北京パラから1周り以上筋肉で大きくなっていた。

ロンドンパラでアル・ジョイナーコーチと抱き合う感動のシーンとは!?※2ページ目へ!

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